
江戸時代に旧東浜街道の尾崎と岩月の境に建立された庚申塔が、あの東日本大震災の津波によって最知まで流されました。それをがれき処理をしていた業者の方が、八幡様に預かってほしいと震災の年に境内に運び込み、これまで石碑のわきに横にして置いておいたのですが…。申年を迎えるに当たり、このまま放置しておくのは「お気の毒だ」ということで、石屋さんにお願いしてきちんと建ててもらいました。石には庚申の刻字の下に、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿が浮き彫りされています。190年も前のものなのに、お猿さんの形がちゃんとわかります。制作者は江戸時代の地元の石工、宇七という人で、実は境内にある大きな石碑たちも彼の作品だったのです!不思議な縁で八幡様にやってきた庚申塔に、来年こそ災いサルという願いを込めて。
庚申塔 申年に願いを込めて
落葉、打ち(落ち)止め
鳩八さん?
遊具撤去 ビフォー、アフター
花のみち45 花魂祭
公園トイレ撤去
お祭り 無事催行!

お天気に恵まれ、おかげさまで今年の八幡様の例大祭も無事終了しました。
前夜祭では、鏡板の松を背景に「叢雲」というお神楽が気仙沼の神主さんたちによってはじめに奉納されました。ご存じ「ヤマタノオロチ退治」のお話で、大蛇切りの場面は真剣が使われており、迫力満点でした。
翌日の神輿渡御祭には氏子の皆さんに加えて、復興工事に携わる工事関係の方たちも神輿を担ぐ「お六尺」に加わり、総勢70名以上の大行列を組んで松岩の各部落を巡りました。神様は神輿に乗ってわっしょいわっしょいと振られることで、エネルギーを再生されるのだそうです。運動会などで「フレー、フレー」と旗を振る応援も、この神輿を振ることからきているのだとか。大勢の手で担がれ振られた八幡様の神様の神力は、ますます強まったことでしょう!
Over the rainbow
待望の松の絵
昨年完成した舞殿。しかし舞台の背面には、よく能舞台にある「鏡板の松」がまだありませんでした。松くい虫にやられてしまった古谷館二の丸のシンボルツリーだった松の木を、ぜひこの舞殿の鏡板の松として復活させたい。また、松崎という地名を持つこの地の再生と復興を祈りたい。そんな宮司の切なる願いに応えてくれたのは、ハウスみかえるの社長夫人畠山貴理子さんと彼女の母校「九州造形短期大学」の学生さんたちでした。
気仙沼から数百キロも離れた九州のキャンパスで、「古谷館八幡神社松の絵プロジェクト」が立ち上げられ、大勢の学生さん、同窓会、地元の業者さんたちの手で気仙沼の松の写真をモデルにした松の絵が杉の板に描かれ(運搬の都合上、絵は20枚の板に分けられて描かれました)、はるばる送られてきたのでした。
それらの絵は、この舞殿を作った棟梁たちの手で見事に舞台の上に再生されました。力強い生命力に満ちた松の絵は、舞殿に新たな命を吹き込みました。来る17日の前夜祭にはこの松の絵もお披露目されます。どうぞお楽しみに。
そして九州造形短期大学の関係者の皆様、貴理子さん、ハウスみかえるさん、本当にありがとうございました。
九州からでは遠いですが、いつの日かどうぞ、この松の木に会いに来てください。お待ちしています。

取り付け準備
大イチョウ、復活

昨日10月2日、強風で境内に散乱した枝や落ち葉を後片付けしていた宮司が「ぎんなんだ!ぎんなんだ!」と言いながら、すごい勢いで社務所に飛び込んできました。何事かと思ったら、ぎんなんの付いたイチョウの枝が落ちていたということでした。実は境内にある大イチョウ、平成14年の奇しくも10月2日の台風で大きな枝が折れ、危険になったために木の芯を詰めて、枝をほとんど切り落としたのでした。以来、裸同然になった木からは、ぎんなんは一度もならなかったのです。それまでは毎年たくさんの実をならし、近所の人がぎんなん拾いをしたものでした。
10年以上の月日がたち、枝が沢山伸びて葉が再び生い茂るようになりましたが、これまで実は一度もなることはありませんでした。ところが、何とちょうど13年目の10月2日に、新たなぎんなんを発見したのです。あたかもイチョウの木が復活宣言をしたかのようです。まだあるかもと、目を凝らしてぎんなんの実を探しましたが、見つかりませんでした。やはりこれは私たちに復活を教えてくれたんだと思えてなりません。この枝を大事にお供えしました。












