8月21日から23日の3日間にわたって行われたイベント「未来の祀りふくしま」の最終日、「神楽を巡って」シンポジウムと「ふくしま未来神楽」の奉納を観にいってきました。
シンポジウムでは伝統的な神楽の意味と、福島で新しい神楽を作ることの意味などが話し合われました。その中で出席者の一人である宗教学者、鎌田東二さんが「みそぎをする海や川が放射性物質に侵された水によって汚されてしまった。みそぎをすべき場を失った福島で新たな祓い言葉、お神楽を創らなければならないのではないか。」と言われた言葉が印象的でした。
それを受けて福島出身の詩人、和合亮一さんが中心になって創作された未来神楽が、夕方から福島稲荷神社で奉納、発表されました。「震災の現実を伝え、鎮魂と再生の祈りを込め、伝承していく全く新しい表現としての現代の神楽」を目指した未来神楽は、伝統的な大和言葉ではなく、現代の言葉で演じられました。阿武隈川の化身である龍がたくさんの流れ込んだ黒い水や土によって、苦しみながら龍の子をもたらします。それは怒りと悲しみに満ちた鬼に姿を変え、あの日に亡くなった人々と生き残った人々両方を伴いながら福島の大地をさかんに踏みしめます。大地を踏みしめ鎮めるお神楽の反閇と笹の葉と祓い言葉、そして人々の営みが続き、やがて汚れた黒いものを母なる龍が呑み込み、亡くなった人々を背に乗せて天に昇っていく…という物語でした。
津波と放射能、二重の苦難に見舞われたこの福島で、この物語が今後も何度となく演じられていくうちに、少しずつ余分なものがそぎ落とされ、あるいは新たに付け加えられたりしながら伝統的なお神楽の一つになるとき、その時、福島は、そして私たちの町は、日本は、どうなっているのでしょうか。一つ言えることは、福島の未来は私たちの未来でもあるということです。