

旧暦の仲秋に当たる季節。大雨が降った後、急に肌寒くなってきました。まさに秋も半ばの気候です。
(左)落葉の模様の小紋に塩瀬の白い帯をあわせて、まだそれほど深くはない秋という微妙な季節感を装います。着物も帯も帯締めも全て祖母からのお譲り。
(中)温かいお茶が飲みたくなる気候になりました。こちらも帯はお母様からのお譲り。着物は世代を超えて伝えられる良さがありますね。
(右)旧暦八月十五日の仲秋の名月は、今年は10月4日です。お月さまにちなんだお菓子に、ウサギ柄の小風呂敷をランチョンマット代わりに。


72年目の終戦記念日。雨模様のこの日、訪れる人も少なく、明治以降の松岩の戦没者の名を刻んだ石碑がひっそりと建っています。平和の誓いとともに建てられたこの石碑、北朝鮮とアメリカ、両国の指導者たちの言動によって、再びにわかにきなくさくなってきた今の情勢を230余名の御柱はどんな思いで見ているのでしょう。
今日はお盆でもあり、熊谷家の祖霊祭に先立ち正午のサイレンと共に皆で黙とうをささげました。集まった御親類の祖先の中にも戦争で亡くなり、石碑に名前が刻まれているものもいます。合わせて祖先の御霊に祈りを捧げました。式の後の直会では、熊谷市訪問旅行のDVDを鑑賞しながら、旅行の報告、お土産話に花が咲きました。
現場は、昨年度に発掘調査が行われた続きの館跡です。昨年発見された堀跡の続きが発見され、小屋館城が何重にも空堀で防護されていた中世の城であったことが証明されました。見晴らしもよく、敵の来襲をすぐに発見できる場所であったこともわかります。平場からは小屋館城が滅びた後の近世の墓跡や地下室、時代は確定できないものの多くの柱跡が発見されています。
小糠雨の降るあいにくの天候でしたが、30名ほどが参加して約800から400年前の昔の暮らしに思いをはせました。発掘調査は、まだこの続きの堀跡を来年度以降も行うということです。
先日、本屋で「草の辞典」という可愛らしい辞典を見つけ、即買いしました。草の勢いに悩まされる季節ですが、中には「これは何という名前の草だろう」と、名前を知りたい欲求を起こさせるものが少なくありません。さっそく、庭にある草がないか辞典を見て調べてみました。今回わかったものの中から、いくつか紹介します。
(1)蛇の頭のように形で、長い舌のような軸が細長く飛び出す。見ると一瞬ドキッとするものはカラスビシャクというものでした。八幡様のあちこちにたくさん生えています。半夏という生薬にもなるそうです。実は八幡様のご先祖は薬草も煎じていました。だからなのか、結構薬草があちらこちらに生えているのです。ひょっとしたら栽培していたのかもしれません。
(2)山野草。清楚な花をこの時期岩場にひっそりと咲かせます。これも食用、薬草にもなるとか。まだ食べたことはありません。
(3)つる性の植物で庭のつつじに絡みつく厄介者です。屁くそカズラとは思わず笑ってしまうような名前ですが、花はなかなかかわいらしいものです。確かに良いにおいはしません。
7月21日、22日と埼玉県熊谷市に行ってきました。さすが猛暑で知られる熊谷とあって、その暑さは半端ではありませんでしたが、最高齢82歳、平均年齢66.4歳という気仙沼直実会のメンバー36名、全員熱中症にもかからず元気に、関東一の祇園と言われる熊谷うちわ祭りを大いに堪能してきました。毎年気仙沼を訪れてくれる「気仙沼に熊谷桜を植える会」の皆さんは、熊谷のうちわ祭りをも支えるメンバーです。いわば一年で一番忙しいこの時期に気仙沼の一行を温かく迎えてくださり、おもてなししてくださいました。普段は県知事や各国の大使など、特別な方たちしか上がれない櫓の上から山車を見学させてもらったり、山車の目の前で集合写真を撮らせてくれたりと、本当に特別待遇でした。
翌22日に訪れた妻沼の国宝、聖天様でも前夜まで祭りのお世話をしていた方たちが、今度はガイドをして、さらにいつ作ったのでしょう。たくさんの漬物やら熊谷フライを差し入れしてくれました。熊谷が「熱い」のは気温だけではありません。祭りの熱気も心も「超熱かった」のでした。

今月21日22日の熊谷うちわ祭り訪問旅行が、いよいよ近づいてきました。お祭りの混雑で迷子?にならないために、そろいのTシャツを作りました。海の色をイメージしたアクアブルー(ちょっと明るすぎかな?でも夏らしく)に、一の谷の源平合戦で平敦盛を呼び止める熊谷直実が浮世絵風に描かれています。
こちらを迎えてくれる熊谷の実行委員さんたちも、今回同じものを作ったそうで、お揃いです。青色の一団で祭り見学するのも、ちょっと歌舞いていますよね。なんせ、歌舞伎から始まった絆ですから。
追伸⁂旅行に参加される方で、ゆっくりサイズを選びたい方は、旅行前にTシャツを受け取りに来られることをお勧めします!もちろん、当日バスの中でもお配りします。