熊谷桜の嫁入りが終わってからはや5日経ちました。あれから雨の日が続いていましたが、昨日ようやくお天気に。皆さんにお配りして残った桜の苗木を、今年も境内に植えました。今年は3本の熊谷桜が新たに仲間入り。しかしわが八幡様の境内は、地盤が岩盤でできており(だからこそ、あの地震と津波にも耐えたのですが)、熊谷桜にとってはなかなか厳しい環境です。頑張って大きく育ちますように。
良いお天気に恵まれた4月22日日曜日、埼玉県熊谷市の「気仙沼に熊谷桜を植える会」の皆さん42名が、気仙沼を訪れました。春のこの時期、「花の嫁入り」と銘打って、接ぎ木をした熊谷桜の苗木100本を熊谷からはるばる500キロの道のりを運んできてくださるこの植樹祭は、今年で5回目になります。
熊谷桜は、源平の戦で先陣を切り「日本(ひのもと)一の武将」と源頼朝から称された熊谷直実にちなんだもので、どの桜よりも先駆けて咲く早咲きの桜です。その勇ましい名からは想像できないような可憐で優しい八重の花を咲かせます。これまで被災された方、家や商店街を再建された方々などを中心に、「復興の先駆けを」という願いを込めてかれこれ約400本の苗木が気仙沼に嫁入りしてきました。
5回目の今年は、市営牧沢団地の共有地に55本の苗木が植樹されました。早朝に熊谷を立ってきた一行は2時ころ住宅地に到着。長旅の疲れを微塵も感じさせず(さすがです!)早速植樹セレモニーが行われました。植樹祭には50名以上の住民の方々が参加。また気仙沼市の副市長をはじめ団地に土地を提供した愛林公益会の方々も熊谷市の一行をお出迎えして感謝の言葉を述べました。続いて記念植樹や記念撮影のほか、なんとバスの中で覚えてきたという「ホヤボーヤ音頭」を熊谷、気仙沼両市民が踊りました。気仙沼の住民は私も含めてこの「ホヤボーヤ音頭」なるものをほとんど知らず、逆に熊谷の皆さんから教えていただきました(笑い)。そして最後にA,B,C各棟に分かれてしめて55本の植樹作業をしました。なお苗木を植える55か所の穴掘り、水汲みなどもろもろの力仕事は、この団地設営の調査、設計を市から委託された国際航業の社員さんたちが、休日返上でしてくれました。お蔭様で、スムーズに和気あいあいと交流を深めながら植樹を終えることができました。
桜の開花に合わせて、こちらもご案内致します。
境内から望める気仙沼−大島大橋をモチーフに御朱印用のスタンプを作成しました。
熊谷桜のスタンプは3月〜4月の桜の季節限定です。
春の訪れを楽しむように、今日は午前中から散策がてら神社を訪れる方がいらっしゃいました。皆さん、桜の様子を気にされていたようです。早速、今日届いたばかりのスタンプを押した御朱印をお持ちになられた方がいらっしゃいました(熊谷桜バーション第一号!)。県外からいらして、ちょうど橋の近くで三陸道の建設工事に携わっている方だそうです。これも神様のお導きかも?
三陸道の気仙沼市内初のICが、きょう開通。この日を迎えるまで30年、まだ全面開通には2年ほどかかりそうですが、それでもすぐ近くのインターチェンジとあって、格別な気持ちで開通式に参加しました。式典に先立って、上沢地区の打ち囃子と虎舞、大谷地区の大漁唄い込みなどが披露されました。
式典の最初には、三陸道の早期開通を願ってずっと活動を続けてきた人力車木遣会による木遣り唄も披露されました。人力車のメンバーは、震災後、熊谷市民による歌舞伎公演を一緒に実現させた仲間ですし、毎年八幡様で安全祈願と木遣唄の唄い初めをしている方たちなので、30年待ちに待ったこの日、この道路で唄う心中を思うと胸が熱くなりました。式典には、市長はもちろん人力車のメンバーの一人である小野寺防衛大臣をはじめ村井知事、国交省政務官、石巻市長や南三陸町長などなど大勢参列しました。
式典が終わった帰り道、二度とは歩けないインター入り口の道路を下っていくと、真正面に八幡様の鎮守の森とお宮、参集殿の屋根が見えました。なんか不思議な感動を覚えました。