バラの花が見頃と聞いて、ずっと伺ってみたかった知人宅へ行ってきました。先日の雨でだいぶ傷んで切ってしまったそうですが、それでも色とりどりのバラが見事に咲いていました。
バラは憧れの花。わが庭でも何度か育てようと試みましたが、どれも手入れ不足でだめにしてしまいました。それからはもっぱら鑑賞するだけに…。帰りにたくさん切り花をいただいたので、早速、参集殿の玄関に生けてみました。バラだけでこんなにゴージャスに!

バラの花が見頃と聞いて、ずっと伺ってみたかった知人宅へ行ってきました。先日の雨でだいぶ傷んで切ってしまったそうですが、それでも色とりどりのバラが見事に咲いていました。
バラは憧れの花。わが庭でも何度か育てようと試みましたが、どれも手入れ不足でだめにしてしまいました。それからはもっぱら鑑賞するだけに…。帰りにたくさん切り花をいただいたので、早速、参集殿の玄関に生けてみました。バラだけでこんなにゴージャスに!
今年も梅雨入り前の仕事の一つとなった、山椒仕事(青い実山椒を摘んで、辛みを抜いて、つくだ煮にして冷凍保存)に取り掛かりました。例年より1週間ほど早い収穫です。木から実を摘み取るのは比較的簡単ですが、後の処理が手間がかかります。実を茎からきれいに取って、辛味抜きに二晩、味付けは3日後の仕事となります。まさにスローフード。しかし今やこの季節のルーティンとなってしまい、たわわに実った山椒の実を無視することはできなくなってしまいました。
「英霊招魂祭」として長らく続けられてきた戦没者の慰霊祭ですが、昨年から、ご遺族の高齢化等諸般の事情により行事の規模を縮小して維持していくことになりました。その際この行事の名称も「松岩地区戦没者招魂祭」と改められました。お詫びして訂正いたします。
名称の改名は、「英霊」という名で戦争で亡くなられた方々を呼ぶことは、悲惨な戦死を美化することになりはしまいか。というご遺族、遺児の方々のお考えがあってのことでした。遺児といってもそのほとんどが最早70代から80代の方々です。幼くして父の位牌を抱いて葬列に参加した記憶、顔も知らないまま遠くの地で亡くなってしまった父や家族の記憶、夫を失い家族を背負って生きてきた母たちの記憶を、かろうじて持ち続けているのがこの遺児の方々です。それらの記憶をこの行事の度に思い起こし、改めて平和を願う機会として、自分たちが続けられる限りはこの行事を続けていきたいという思いが、遺族会会長のご挨拶や副会長の閉会の言葉には溢れていました。
今日はもう一つ大きな出来事がありました。ポーランド大使とそのご家族が気仙沼に来訪し、お忙しいスケジュールの中で、わざわざ当神社の境内にある東日本大震災慰霊碑に献花をしに来られました。とてもフレンドリーな方で、宮司の松岩地区の被災の様子や慰霊碑に刻まれている犠牲者の方々についての説明に熱心に耳を傾けてくださいました。もちろん通訳の方も同行していましたので、ご安心を。
良いお天気に恵まれた4月22日日曜日、埼玉県熊谷市の「気仙沼に熊谷桜を植える会」の皆さん42名が、気仙沼を訪れました。春のこの時期、「花の嫁入り」と銘打って、接ぎ木をした熊谷桜の苗木100本を熊谷からはるばる500キロの道のりを運んできてくださるこの植樹祭は、今年で5回目になります。
熊谷桜は、源平の戦で先陣を切り「日本(ひのもと)一の武将」と源頼朝から称された熊谷直実にちなんだもので、どの桜よりも先駆けて咲く早咲きの桜です。その勇ましい名からは想像できないような可憐で優しい八重の花を咲かせます。これまで被災された方、家や商店街を再建された方々などを中心に、「復興の先駆けを」という願いを込めてかれこれ約400本の苗木が気仙沼に嫁入りしてきました。
5回目の今年は、市営牧沢団地の共有地に55本の苗木が植樹されました。早朝に熊谷を立ってきた一行は2時ころ住宅地に到着。長旅の疲れを微塵も感じさせず(さすがです!)早速植樹セレモニーが行われました。植樹祭には50名以上の住民の方々が参加。また気仙沼市の副市長をはじめ団地に土地を提供した愛林公益会の方々も熊谷市の一行をお出迎えして感謝の言葉を述べました。続いて記念植樹や記念撮影のほか、なんとバスの中で覚えてきたという「ホヤボーヤ音頭」を熊谷、気仙沼両市民が踊りました。気仙沼の住民は私も含めてこの「ホヤボーヤ音頭」なるものをほとんど知らず、逆に熊谷の皆さんから教えていただきました(笑い)。そして最後にA,B,C各棟に分かれてしめて55本の植樹作業をしました。なお苗木を植える55か所の穴掘り、水汲みなどもろもろの力仕事は、この団地設営の調査、設計を市から委託された国際航業の社員さんたちが、休日返上でしてくれました。お蔭様で、スムーズに和気あいあいと交流を深めながら植樹を終えることができました。