小春日和の3.11でした。朝から三々五々慰霊碑の前に祈りを捧げる人々が絶えませんでした。震災が発生した午後2時46分の全市一斉の黙祷のサイレンと同時に松岩地区の慰霊祭が地域の方々30余名が参集されて始まりました。
14年。ずいぶんと長い時間が流れても、この日だけは、あの時の光景、あのときの想いが甦ります。私達は年をとっても、慰霊に刻まれた犠牲者のお年はあの時のまま。どうしても取り返せない命の重さを今更ながら痛感します。
小春日和の3.11でした。朝から三々五々慰霊碑の前に祈りを捧げる人々が絶えませんでした。震災が発生した午後2時46分の全市一斉の黙祷のサイレンと同時に松岩地区の慰霊祭が地域の方々30余名が参集されて始まりました。
14年。ずいぶんと長い時間が流れても、この日だけは、あの時の光景、あのときの想いが甦ります。私達は年をとっても、慰霊に刻まれた犠牲者のお年はあの時のまま。どうしても取り返せない命の重さを今更ながら痛感します。
先週の19,20日は、八幡神社の前夜祭、例祭、御輿渡御祭でした。
年々報告が遅くなりすみません。歳と共に祭りの後の諸々の片付けに追われて、なかなかブログが書けず…インスタの方で権祢宜が即アップしているので、すっかり甘えてしまってます。
お祭りを施行するのは、本当にマンパワーが必要です。特に御輿を担ぐには!今年は松岩中と面瀬中のOBで来年42歳の歳祝いを迎える有志の面々が大勢参加してくれました。
祭りの準備、演芸会のお世話に、後始末一切を前日から当日遅くまでしてくださった総代さん、氏子青年会と熊谷家御親類の皆さま。
御神輿が通る道を草刈りし、幟をあげ、色々なおもてなしをしてくださる各お旅所の皆さま。
八幡神社の賄いを背負って立つ、頼りになる女性たち、サガミーズ。
どれ一つどの力一つ欠けても、お祭りは成立しません。
実は前夜祭終了後の夜遅く、境内に掲げた幟の棹が、強風で折れてしまいました。私は一体どうなるか、例祭は無事に出来るのだろうかと、ほとんど眠れず例祭の朝を迎えました。
朝からともかく総出で、風で散らかった境内の掃除をし、幟は参道に広げておきました。誰も何事もなかったかのように、例祭が始まり、御輿渡御祭も滞りなく終えることが出来ました。良いお天気にも恵まれ、今年からお旅所の数を縮小したにもかかわらず、ほぼ混乱もなく終えられたこと安心いたしました。
神様とお祭りを支えてくださった全ての皆さま、本当にありがとうございました。
4月14日、当神社境内において、第10回「花の嫁入り」が行われました。第1回はちょうど10年前の4月13日、震災から3年目という、まだまだまだ津波の爪痕が残る当地に、先駆けの桜、熊谷桜に早期復興の祈りを込めて植樹したのが始まりでした。以降、500キロ近く離れた熊谷市から、接ぎ木した熊谷桜の苗木を携えて、コロナで来れなかった年を除いて10年、この活動と交流は続いて来ました。毎年100本前後の苗木が植樹されたり気仙沼市民に配布されたりして、今年いよいよ千本目になることで千穐楽を迎えました。
千本目の桜は、一本目と同じ八幡神社の境内、海を臨む場所に植えられました。
赤岩打ち囃子保存会の太鼓でお出迎えし、続いて「花の嫁入り千穐楽奉告慰霊祭」の神事が行われ、表千家髙橋宗伶社中の皆さんによる献茶と野点も行われました。苗木をお迎えに来た市民や熊谷市の皆さんが桜の焼き印のついたお饅頭とお抹茶を楽しみました。桜吹雪枚散る中で行われました千穐楽行事は、お嫁入りの最後を締めくくるのにふさわしい心に残るものとなりました。
熊谷桜が昨日のあたたかさで開花し始めましたので、本日3月25日大安 新しい御朱印の頒布を開始します。
◯初穂料 700円
(できるだけお釣りのないようご協力をお願い致します)
◯書き置き 見開きサイズ
(朱印の押印と日付の筆書きはその場で行います)
◯授与所開設時間
9時から17時まで
これから八幡神社の桜の季節が始まります。桜をみながら新しい御朱印をぜひお手にとってご覧くださいませ。
【御朱印作成にいたる経緯】
今年の4月14日に予定されている第10回花のお嫁入り。
埼玉県熊谷市の皆様が、今年も熊谷桜の苗木を携えて、気仙沼を訪問されます。
2014年に始まったこの苗木贈呈・植樹の事業は、今年で足掛け10年目を迎え、目標であった1000本桜を達成します。
これまでのご支援への感謝と、熊谷直実と孫・直宗によって繋がれた熊谷市と気仙沼市の今後の交流の継続を願って、特別御朱印を作成しました。
御朱印台紙の作成を依頼したのは、気仙沼市唐桑にお住まいのはんこイラストレーター・白幡美晴さんです。
どこか懐かしさを感じる気仙沼の風景を、消しゴムはんこのパーツを組み合わせた作画方法でイラストにしています。他の作品も素敵ですので、ぜひご覧くださいませ。
https://hanko-illustration.mystrikingly.com
https://hankoillust.thebase.in
昨日3月11日で震災から13年になりました。少し寒さが緩んだこの日、境内の慰霊碑前には地域の皆さん30名ほどが集まりました。午後2時46分のサイレンと共に黙祷、続いて当神社の神職による慰霊祭が催行されました。皆、13年前のそれぞれのあの日を思い出しながら、犠牲になられた方々に祈りを捧げ、献花をしました。
13年。やはり長い年月です。ご遺族も震災を経験した私達も年を取りました。
気仙沼は少しずつ復興しているとはいえ、目の前の旧尾崎、片浜地区の景色はまだまだ空地のままです。この先のふるさとの行く末を思うと、年毎に老いていく我々に一体何が出来るのかと、悲観的な考えが頭をよぎります。でも…自分たちに出きることをしていく、諦めずに歩みを続ける、それが生き残った私達の、震災後を生きる私達の「役目」なのかなあと思うのでした。。。
お知らせが直前になりましたが、八幡神社では今月、社殿裏の紅葉を楽しんでいただくために、母屋の庭を開放します。
⚪庭園解放日
15日と18日の午前9時から午後4時まで。
また、同じ日に、お抹茶と亥の子餅のセットをワンコインでご用意します。
⚪お抹茶と亥の子餅
15日 午前 10時から12時、午後2時から3時
18日 午前 10時から12時
数量限定のため、ご希望のかたはお電話でご希望の日時と人数をお申し込みください。
秋晴れの10月22日。「気仙沼に熊谷桜を植えよう」と、毎年「花の嫁入り」と称して熊谷桜の苗木を届けてくださる埼玉県熊谷市の皆さんがいらっしゃいました。この花の嫁入りは震災後に気仙沼の早期復興を願って始まり、今回で九回目です。お嫁入りした桜は、今年で九百本を越えました。
今年は熊谷桜の名にちなむ熊谷直実の孫、直宗が承久の乱の戦功によって気仙沼の地を与えられて赴任してからちょうど八百年の節目の年になります😊
熊谷氏の皆さんが到着すると、秋葉太鼓保存会の皆さんによる太鼓打ち鳴らしで一行を歓迎し、関係者のご挨拶のあと気仙沼市民の皆さんに30本の桜の苗木が贈られました。
その後、直宗を祖とする気仙沼の熊谷氏の居城の一つであった中館に移動して記念植樹が行われました。私も初めて中館跡に登りました。前々回の赤岩館同様、山城で、容易に敵が攻めてこれないように掘られた空堀のあとも残されていました。
夜は懇親会も行われ、熊谷市と気仙沼市のお嫁さんの親同士が親交を深めました。
翌日は直宗の菩提寺である宝鏡寺で直宗さんの八百年遠忌法要が行われました。(こちらについても後日ご報告します)
四年ぶりに、前夜祭演芸奉納会、そしてフルバージョンの神輿渡御祭、直会も行われました。
お神楽と打ち囃子の太鼓は圧巻でした。舞殿の松を背景に奉納披露された日本舞踊もお祭りに艶と色を添えてくれました。
翌日の神輿渡御祭は、あいにくのお天気でしたが、各お旗場でコロナ前と同じようにおもてなしを受けました。本当にありがたいです。
今年は、お六尺(神輿の担ぎ手)に、面中、松中の四十二の厄年を迎える年祝いの実行委員さんたちも参加しました。コロナで中断していた昨年と今年の二年分の参加でした。「雨で大変だったでしょう」と声をかけると、「はい、でも楽しかったです」「来年も担ぎたいです」という返答ヲチ頂き嬉しくなりました☺️
コロナ禍でお祭りの継承が危惧されましたけど、形は少しずつ変えながらも、これからも守り、続けていく力を感じました。