いよいよお祭り1週間前となりました。すでに先月から少しずつお祭り準備は始まっています。その準備とは、まずお掃除と周囲の草刈りです。特に時間がかかるのが窓ふき。何といっても量が多いうえに細かな木の枠がはめ込まれているので、これが拭く者泣かせなのです。一枚の窓裏表で40枚以上の小さな正方形のガラスを拭くことになり、そんな窓が20枚ほどと、さらに普通の窓が…数えるとげんなりするのでやめておきます。しかしそれも今日でほぼ終わり、明日からは準備第2段階に入ります。
今日で震災から5年半です。5年前の自分の写真を見ると、ずいぶん老けたなあ、やっぱり5年の変化は大きいと実感?します。境内から望む風景も、それなりに変わってきました。面瀬川の堤防工事で土がうず高く盛られ、下のほうからは海が見えなくなりました。八幡様の階段下では、道路のかさ上げ工事が行われています。なのに「復興」を実感できないのは、目の前の片浜地区の土地利用が、はっきりしたプランが全然示されないまま、この5年半の間、ずっと変わらず殺風景な土の山であり続けているからかもしれません。 震災当時とほとんど変わらないこの風景は復興の遅れを象徴しているように思え、人だけが容赦なく年を重ねていくような無力感に襲われてしまいます。
唯一明るい景色は、三陸道の工事が目に見えてきたことと集団移転地にどんどん新しい家が建ってきていることです。昨日より今日、今日より明日、確かに年は取りますが、新しい営みも確実に始まっているのですね。気を取り直して、前向きに行きましょう。
八幡様と本宅の間には、道場があります。かつてここでご先祖が寺子屋をしたり(寺子屋アジールの名前の由来はここからきてます。)、ごまを焚いて御祈祷をしていた修験道場です。今は昔の道具やら古文書、ちょっと昔?のものなどもしまっています。梅雨の晴れ間には、土用干しをして空気を入れ替えています。先日「八幡宮」と彫られた板(扁額)を見つけました。向かい鳩の形がはっきりわかるように彫られていて、やはり鳩がシンボルであったことが分かります。昔のお宮にかけられていたものでしょうか。裏には「文久元年八月吉日 藤原盛房書」と記されていました。宮司によると藤原というのは鮎貝さんのことだそうで、当時の領主鮎貝家から奉納されたものだということです。他にも江戸より古いのではと思われるものもあり、遠い昔にちょっぴりタイムスリップする楽しさを味わいました。宮司は残された古文書の解読に挑戦中です。