七番目の御旗場、四十二です。名物?タコウインナーにまず目を奪われました。串にお煮しめとウインナーを刺して、なるほどこのようにすれば食べやすいわけですね。勉強になりました。
祭りを支える人 御旗場で(金取地区)

実はわたくし、今回初めて神輿渡御に同行させてもらいました。嫁に来て30年以上たちますが、お神輿の一行がどこでどのようなお迎えを受け、おもてなしを受けているのかほとんどわからないままでした。今回の同行で、各御旗場で幟旗を揚げ、大勢の人たちがお神輿をお迎えする様子を目の当たりにすることができて本当に良かったです。また特に休憩をとる場の御旗場では、皆さん朝早くからお神酒やお煮しめ、おにぎりなどを準備してお神輿の一行を迎えてくれました。すべては紹介できないので、主な場所をこの場を借りて紹介したいと思います。まず午前のたばこの場である金取地区から。
金取地区は総戸数18軒の地区です。ほぼ氏子総出で準備してお出迎えしてくれます。
祭りを支える人
震災後、浜にあった部落の氏子さんたちが各地に散らばってしまい、お神輿を担ぐお六尺の担い手不足は、当地のどこの神社でも抱えている問題です。そんな中で、八幡神社は震災直後から何とか神輿渡御を続けてきました。昨年からは震災復興工事に携わる地元企業、そして全国から工事に来ている企業の人たちに呼びかけ、お六尺として神輿を担いでもらうようになりました。地元の氏子20名、工事関係者から20名で40名ほどの人数になりました。その他神職はじめ様々な随員を合わせると総勢75名ほどの神輿渡御になりました。秋晴れの素晴らしいお天気に恵まれ、おかげさまで良い神輿渡御祭になりました。
前夜祭
前夜祭の神事の後行われる演芸会のトップを飾るのは、気仙沼地方の神主さん(法印)による「本吉太々法印神楽」です。「西宮」と「叢雲」の2目が奉納されました。日本神話の八岐大蛇退治で有名な「叢雲」には、当神社の宮司もクシナダヒメの父、アシナヅチを演じました。長いセリフを一か月くらい前から密かに練習して臨みましたが、果たして成果のほどは皆様の評価にお任せします。
そして今回初披露の「直実節」が古谷館、片浜などの婦人たちによって演じられました。源平合戦で名をはせた武将熊谷直実の孫直宗が気仙沼に赴任して当地を治めた縁により、埼玉県熊谷市のみなさんとの交流が震災を機に深まっています。熊谷では必ずと言っていいほど演じられる「直実節」。これから、直実にゆかりある八幡様の演芸会での目玉になって、毎回奉納されることになるでしょう。
おまつり準備その?前夜祭当日の朝
毎日準備に追われているうちに、いよいよ前夜祭の朝を迎えてしましました。果たしてこれが準備その何番目なのか定かではなくなってしまいましたが、最終段階に入ったところに違いはありません。
写真1~3は、前夜祭の朝、午前6時から氏子青年会の面々がしめ縄をはっています。例年であれば、神社参道や道路の周りにもしめ縄をぐるりと張りますが、今年は道路がかさ上げ工事中のため、神社の周りをぐるっとしめ縄で囲いました。しめ縄は結界です。神様の領域に邪気が入るのをふせぐものです。お正月に玄関にしめ縄を飾りますが、これもいわば家を守る結界です。そして祭りはこの夜、いよいよ始まります。
お祭り準備その1
初七五三参り
珍しい秋分の日に
お名月さん
震災から5年6か月
今日で震災から5年半です。5年前の自分の写真を見ると、ずいぶん老けたなあ、やっぱり5年の変化は大きいと実感?します。境内から望む風景も、それなりに変わってきました。面瀬川の堤防工事で土がうず高く盛られ、下のほうからは海が見えなくなりました。八幡様の階段下では、道路のかさ上げ工事が行われています。なのに「復興」を実感できないのは、目の前の片浜地区の土地利用が、はっきりしたプランが全然示されないまま、この5年半の間、ずっと変わらず殺風景な土の山であり続けているからかもしれません。 震災当時とほとんど変わらないこの風景は復興の遅れを象徴しているように思え、人だけが容赦なく年を重ねていくような無力感に襲われてしまいます。
唯一明るい景色は、三陸道の工事が目に見えてきたことと集団移転地にどんどん新しい家が建ってきていることです。昨日より今日、今日より明日、確かに年は取りますが、新しい営みも確実に始まっているのですね。気を取り直して、前向きに行きましょう。



















