若い部員さんたちが産休中のため、なんとなく休部状態だった「なでしこクラブ」ですが、一昨日久しぶりに活動を再開しました。お嬢さんの成人式に自分の手で振袖を着せたいという、新たな部員さんも加わり、私も見習って、ボディさんを借りて人に着つける練習をしました。なかなかピシッと着付けるのは難しい。
季節も着物が似合う秋になりました。神社にとっては忙しい季節でもありますが、時間を見つけて練習したいと思います。興味のある方、どうぞ参加を!
若い部員さんたちが産休中のため、なんとなく休部状態だった「なでしこクラブ」ですが、一昨日久しぶりに活動を再開しました。お嬢さんの成人式に自分の手で振袖を着せたいという、新たな部員さんも加わり、私も見習って、ボディさんを借りて人に着つける練習をしました。なかなかピシッと着付けるのは難しい。
季節も着物が似合う秋になりました。神社にとっては忙しい季節でもありますが、時間を見つけて練習したいと思います。興味のある方、どうぞ参加を!
西日本の豪雨災害、大阪の台風被害、そして今度は北海道の大地震と山津波による災害。日本列島が立て続けに災害に見舞われています。どの被災の様子を見ても、7年半前のあの日を思い出さずにはいられません。
昨日でちょうど、あの大震災から7年半です。折り悪く不覚にも人生初の「ぎっくり腰」になって身動きできず、慰霊碑に花を用意して供えることもできませんでした。通院後、せめて手だけでも合わせようと慰霊碑に近づくと、どなたかが既に花とそしてかわいい姫リンゴ(だと思います)を二つお供えしてありました。それを見て、ほっとするやら、目頭が熱くなるやら…。7年半たっても未だ復興半ばのわが町ですが、他の被災地と共に、今度は先輩?としてできる限りの手を差し伸べながら、進むしかありません。
昨日早朝「八幡様の軒下にスズメバチの巣がある」との電話をいただきました。その方が朝参拝していると、宮司の朝のお勤めの太鼓が鳴る度に、振動に驚くのかハチが巣から不穏な動きをして跳び出ていたそうです。
確かによーく見ると、軒下に20センチほどの巣ができていてスズメバチが盛んに出入りしていました。これは一大事と、とりあえず張り紙をして参拝者が近寄らないように結界を張りました。
ハチが巣に戻って静かになる夜を待って、ハチ撃退大作戦を決行!ハチに詳しく、これまで何度もハチを駆除しているハチバスターに助っ人をお願いしました。巣は地上から5メートルほどもあるお宮の軒下にあり、はしごをかけての作業でした。参集殿の軒にも、こちらはあしながバチの小さな巣もできており、一挙に二つの巣の駆除に成功しました。それにしても、猛暑のせいかハチの動きが活発なようです。お盆で人の出入りも多いこの時期、刺されたりする人が出る前に無事駆除できてよかったです。
今日8月7日は「花の日」です。語呂合わせですが、ちゃんと日本記念日協会認定の記念日の一つになっています。
拙作ではありますが、私も花の日にちなんで、最近玄関に飾ったお花を紹介します。かれこれ30年以上お花を続けていますが、なかなか会心の生け方はできません。でも、生ける時間は好きです。花のある暮らしが出来ること、それは平和とささやかな幸福の証なのかもしれません。
(猫のいる花材:はらん・リューカデンドロン・ヒペリカム)
今回で3年目、最後の小屋館城跡発掘調査の現地説明会が行われました。小屋館城跡は鎌倉時代後半から安土桃山時代まで気仙沼周辺を治めた熊谷氏の一族(ご先祖様ですが)が築城した中世の城跡の一つです。今回は小屋館城の一番北端にあたる場所で、これまでの調査で発掘された空堀のいわば続きの空堀が2条発掘されました。
一つ目の堀は幅7~9m、深さ2~4m、v字状で長さ約40m、これまでのものと合わせると120m以上になるそうです。
もう一つの堀はまだ一部確認されただけですが、これまでの調査結果から長さ80m以上、幅約5m、深さ1.5~2mの規模が推測され、やはりV字状だそうです。
小屋館城は三方海に囲まれたいわば天然の城砦であり、これらの大きな2条の空堀は、唯一尾根伝いにやってくる敵の侵入を防ぐためと、城の区画を明示するためのものだろうということでした。
回を重ねるごとに少しずつ明らかになってきた小屋館城の在り様、知れば知るほどに面白く、7,8百年ほど前の小屋館(古谷館)にタイムトリップした時間でした。
話は昨年の秋にさかのぼります。小学生が当神社に地域の歴史について学びたいと訪問した時、神社所蔵の太刀とか弓など共に政宗像も展示して子供たちに見せたのでした。それを紹介したブログを見て、何と今度はその政宗像を訪ねて、県南の村田町歴史みらい館の専門員さんがやってきました。
お聞きしたところ、この政宗塑像は、大正13年(1914年)に県内の小学校に配布されたものだそうです。分校にも配布されたとのことで約300体ほどが配られたのではないかということでした。その仕掛人は当時の宮城県知事、森正隆という人物でした。県の藩祖である政宗に対し崇敬の念を県民に抱かそうと小学校に配布したようです。そして政宗の命日の5月24日と10月9日の青葉神社祭典に際して、児童にこの像を拝礼させたとのことでした。
村田町歴史みらい館では、今年の4月28日から6月24日まで「政宗集結す」という企画展を開催し、県内の学校等に問い合わせて点在している政宗塑像を集め展示したそうです。存在を確認できたのはわずか20体ほどで、気仙沼では大島小学校にあってお借りしたとのこと。ネットで我が家にあるのを知ったのは、残念ながら企画展後のことでした。おそらく松岩小学校にあったものが、どのような経緯で我が家わが神社に渡ったのか、もはや知るすべもないのですが…。おそらく終戦後、軍事的な一切のものを排した流れから武士像など学校には置けないということで、松岩小学校の校長経験者でもあり、神主でもあった祖父が預かったのでは?というのが目下のところの推測です。意外な歴史を持つ政宗さんの像でした。