11月に入り、七五三詣りの方たちが多く訪れるようになりました。お天気の良い日は、ここからの記念撮影が最高です。と、招き猫が申しております。
「こころ旅」がやって来た
先日、NHKのBS番組「こころ旅」の一行が八幡様にやって来ました。火野正平さんとNHKのスタッフが視聴者の心に残る風景を自転車で巡る人気番組で私たちも毎朝見ています。青森、岩手と東北の各地を周り、次は宮城県。どうやら宮城の一番北の気仙沼から、だんだん南下して行くようです。
震災後まもなくのころ気仙沼にも来て、八幡様にも偶然寄ったようですが、その時はわたしたちは全然分かりませんでした。今回は境内で視聴者の手紙を読んで、ここから出発して行くということで、前日にディレクターの方が挨拶に見えたので、びっくりしました。被災地の今の様子や風景もふくめて、それとなく番組を通して伝えたいという作り手側の思いを感じとったような気がしました。邪魔にならないように、遠くから写真でも撮れたらいいいな位に思っていたのですが、思いがけず、正平さんに話しかけられて、柄にもなくすっかりあがってしまって、とんちんかんなことを言ったような…(^_^;) うまく編集されているといいのですが。
10月30日、朝7時45分と夜7時から、NHK、BSプレミアムで放送されるそうです。お見逃しなく?!
平成30年 前夜祭、例祭斎行
今年も無事にお祭りを斎行する事ができました。前夜祭はあいにくのお天気で、ちょっと賑やかさには欠けましたが…しかし御神楽が奉納される時には雨が上がり、お月様が顔を出しました。月夜に浮かび上がる舞台の上で舞われる御神楽が幻想的でした。
翌日はうってかわって快晴に恵まれ、総勢72名の大行列での神輿渡御祭となりました。昨年同様松岩地区の復興工事に携わる企業の皆さんや地元の建設業者さん、さらに来年42歳の厄年を迎える松岩中学校と面瀬中学校の卒業生の代表などなど、大勢参加してくれました。これらの方たちは初めて参加した方も多く、各お札場で松岩の氏子さんたちに迎えられ、おもてなしを受けて「貴重な体験をさせていただきました。」と感激して帰還してくれました。
そしてもちろん、八幡神社総代さんたちをはじめ氏子青年会の皆さん、熊谷家ご親類の皆さん、サガミセブンのご親類レディーズの裏方たちの大きな力で、お祭りが斎行できました。
皆さん、ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。
新たな家紋発見?!
お祭りまで一週間を切りました。連日、片付けや窓ふき、掃除の毎日です。今日は氏子青年会の有志が舞殿の幕張やら、裏参道の電灯の準備を、一日がかりでしてくれました。(うっかり写真を撮り忘れていました。ごめんなさい。)
さて、そんな中で、道場でもの探しをしていた宮司が、年代不明の幟のようなものを発見しました。丈夫な藍の布に紋が染め抜かれており、長さは畳一畳ほどもあります。現宮司曰く、昔は神輿渡御の際は宮司が馬に乗っていったそうで、その馬の鞍にかけたものではないか、ということです。確かに紋が左右に向かい合ってついています。ところが、その紋が、現在の熊谷氏の「ホヤの葉に向鳩」ではなく、松、しかも三界の松の上に向鳩という紋でした。これは、何と「松崎の熊谷」を表している! ひょっとしたら、熊谷氏のいくつかの館ごとに、お互い出自がはっきり分かるように、それぞれ紋があったのかもしれませんね。しばし、目の前の忙しさを忘れさせてくれる発見でした。
ピンクレンジャー現る
今回の台風の強風によって落ち葉や小枝、大枝で境内は埋もれました。掃いても掃いても、また吹き戻されるいたちごっこ。そんな時、頼もしい助っ人が現れました。ピンクのジャージがトレードマークのピンクレンジャー、Mr.Sさんです。先日から何度も通ってきて、境内の落ち葉をかき集めてくれました。今日はピンクではなく秋らしい?えんじ色のジャージでしたが、先日かき集めてところどころ山になっていた落ち葉の片づけをしてくれました。感謝です。
なでしこ便り 仲秋
若い部員さんたちが産休中のため、なんとなく休部状態だった「なでしこクラブ」ですが、一昨日久しぶりに活動を再開しました。お嬢さんの成人式に自分の手で振袖を着せたいという、新たな部員さんも加わり、私も見習って、ボディさんを借りて人に着つける練習をしました。なかなかピシッと着付けるのは難しい。
季節も着物が似合う秋になりました。神社にとっては忙しい季節でもありますが、時間を見つけて練習したいと思います。興味のある方、どうぞ参加を!
彼岸の入りに
あの日から7年半
西日本の豪雨災害、大阪の台風被害、そして今度は北海道の大地震と山津波による災害。日本列島が立て続けに災害に見舞われています。どの被災の様子を見ても、7年半前のあの日を思い出さずにはいられません。
昨日でちょうど、あの大震災から7年半です。折り悪く不覚にも人生初の「ぎっくり腰」になって身動きできず、慰霊碑に花を用意して供えることもできませんでした。通院後、せめて手だけでも合わせようと慰霊碑に近づくと、どなたかが既に花とそしてかわいい姫リンゴ(だと思います)を二つお供えしてありました。それを見て、ほっとするやら、目頭が熱くなるやら…。7年半たっても未だ復興半ばのわが町ですが、他の被災地と共に、今度は先輩?としてできる限りの手を差し伸べながら、進むしかありません。