歌舞伎熊谷陣屋之場

歌舞伎熊谷陣屋之場

「熊谷陣屋」は、江戸時代の人気浄瑠璃作家、並木宗輔(1695~1751年)の作品「一谷嫩軍記」の中の三段目になります。
源氏と平氏が争った一の谷の合戦で、源氏の武将熊谷次郎直実が平氏の無官太夫敦盛を討った平家物語のエピソードに着想を得、さらにそこに「身代り狂言」という大胆な設定を盛り込んだフィクションで、二段目の「陣門・組討」と同様、代々の名優によって繰り返し演じられてきた歌舞伎の名場面です。
 「陣門・組討の場」は、熊谷直実が馬で沖に逃れようとする平家の公達を呼び戻し、組討となる場面です。やがて剛の者直実が相手を組み敷きますが、ここで初めて直実は、相手が我が子と同じ年頃の平家の公達敦盛と知ることになります。討取るには忍びなく、そのまま立ち去ろうともしますが、居合わせた味方から、「平家方の大将を助けるは、二心(源氏に対する裏切りの心)にまぎれなし」と言われ、しかたなく、涙ながらに敦盛の首を討つのでした。
 続く「熊谷陣屋の場」は、そんな直実が重い足取りで自陣に戻ってくるところから始まります。息子の初陣を心配する直実の妻相模と、二人の恩人であり敦盛の母である藤の方が待つ陣屋で、子を思う二人の母を前に、敦盛を討ちとる経緯を仕方話で再現する直実。 そこへ義経が登場し、敦盛の首実検を行うと告げます。ところで直実は、この合戦以前に、義経より、これを立てて陣屋の脇に生えている若い桜を守護せよと、「一枝(いっし)を剪らば一指(いっし)をきるべし(一本の枝を折ったものは指一本切る)」という制札を受け取っていたのでした。これを受け取った直実は、この制札には、表面上の意味とは別に「一子を切らば一子を切るべし」という意味、「後白河院の胤である敦盛を助けよ」という意味があると解釈したのでした。そして、実は直実は、主君である義経のその密命に忠実であろうと、なんと我が子を敦盛と偽り討ち、この首実検に臨んでいたのでした。実検される首が敦盛のものではなく我が子のものと知る母・相模、しかし、あくまでも敦盛の首としてその場に居合わせたすべての者たちが感情を押し殺し振舞います。
 この陣屋に居合わせた者たちの悲喜こもごもが入り交り、直実と相模の嘆き悲しみが一層際立ちます。直実の《制札の見得》のクライマックスと母相模の《クドキ》、制札の謎とトッリクが解き明かされる推理劇風な並木宗輔の場面仕立ては、江戸の昔から今に至るまで変わらず観客の心を鷲づかみにします。そして武士としての忠義と親としての情に苦しみ、世の無常を悟ってついに直実は出家するという結末を迎えます。このラストシーンにも、「十六年は一昔、夢だ夢だ…」という名ぜりふと共に幕外に引っ込む《団十郎型》と、江戸以来の古風な型を受け継ぐ《芝翫型》の二種類があり、どちらの型も現在まで踏襲され、演じつづけられています。

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