松崎城古谷館熊谷の氏神様、古谷館八幡神社
当八幡神社は平安末期の永承6(1051)年、源頼義が前9年の役に臨み、戦勝祈願のために勧請創建し、その後天喜5(1057)年、源義家が修復を加えて鎧一領を献じたと伝えられます。南北朝の動乱から戦国時代にかけては源平合戦の一ノ谷の戦いで有名な「日の本一の剛の者」熊谷次郎直実の孫、熊谷平三直宗を祖とする気仙沼熊谷の枝族、松崎城古谷館熊谷の氏神となり、当社は「古谷館八幡神社」と定められました。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の奥州仕置により気仙沼熊谷は主家である葛西と共に滅亡します。松崎城古谷館(熊谷左京進信直)も落城しますが、八幡神社は同じ葛西家臣である最知の末永館の八幡様を合祀して残りました。
江戸時代、伊達家御一家筆頭鮎貝越中守宗讀が松崎村に所替えになり、八幡神社は延宝7(1679)年に鮎貝家祈願所、同家家中は大照院(八幡神社別当)の祈願檀家となります。同年社殿改築、その後文化3(1806)年、鮎貝盛辰の代にも社殿改築を行っており、享保8(1723)年には藩主伊達吉村が東浜街道御出駕の折、参詣賽貨を献ずる等、武門の崇敬を受けました。
境内からは、左手に唐桑半島、正面に大島・亀山、右手に岩井崎を望むことができます。
拝殿向かって右手には、中世山城の空堀跡に根を張る桜の古木があります。
熊谷桜
それ以外にも、境内東南の土手にはソメイヨシノが植えられており、桜の季節には、桜越しに気仙沼湾、大島亀山を一望することができます。
境内社には、秋葉、八雲、若木神社があります。
境内の南は松岩公園となっています。
そこには松岩地区の戦没者忠魂碑があります。
東日本大震災慰霊碑