鳥居とお宮のしめ縄を新たにし、門松をして新年を迎えます。工事中だった表参道も初詣、参拝者のために五洋建設の方たちが仮の道路をつくってくれました。いつもは見ることのできない工事の進捗状況を見ながら、参道を上ることができます。元旦には、かわいらしい巫女さんたちも福をもたらす雰囲気を盛り上げてくれました。
穏やかな新年の始まり。今年こそ、災害のない穏やかで明るい年になりますように。
12月も10日あまり過ぎると、師走の色が濃くなってきました。早々と神棚のお掃除をして、今年のしめ縄やお札を納める人がふえてきたようです。この納め場所も、年末には山盛りになることでしょう。これらのお札やしめ縄等は来年のどんと祭に、お正月の松とともにお炊き上げされます。
ここでお願いです。
燃えないもの、プラスチック等は予め外してから納めてください。ダイオキシン発生の原因になります。
お札、ご幣束等は、遠方で頂いたものなどを除いて、お札をお受けした神社に納めましょう。(夜間に車で参道に乗り付け、ぼんと放り投げていくような納め方は言語道断です。)一年を無事終えることに感謝し、新たな年を迎える準備をしましょう。そしてよいお年をお迎えください。
自宅前にあった柿(渋柿)の木を、参道を整備するために切ってからずいぶん経ちました。宮司も年を取ってきた証拠でしょうか?、その柿木を偲んで2,3年前に駐車場のわきに柿の苗木を植えたのでした。やっと1メートルほどの高さになった今年、初めて柿の実が13個実りました。先日実をとって、「確か富有柿だったと思う。」という宮司の言葉を信じて、恐る恐る食べてみると…確かに甘がきでした。木に見合った小さな実ですが、食べる時もなんだかいとおしく、味も格別な気がします。
お祭りが終わってずいぶん経ってしまいましたが、最後にお神輿渡御一行を簡単に紹介させていただいてこのシリーズを終了します。まだまだお祭りを支える役割を担う方々はいますが、それはまた次の機会ということでお許しください。
昨日、この7月から始まった発掘調査の現地説明会が県の教育委員会主催で行われました。お天気に恵まれ、70名ほどの参加があったということでした。中世の小屋館(古谷館)城の空堀跡の見学、そこから発掘された馬の骨や人の歯、陶磁器、茶臼、飛礫の展示なども行われました。現在の八幡神社があるところと今回発掘された場所には、どうも同じくらいの大きさの中世の城が並列していたのではないか、それ全体が小屋館城の縄張りとみられ、それはおそらく熊谷氏の同族、ないし親子、兄弟などの関係で協力してこの地域を治めていたのではないかということでした。堀は何重にもめぐらされており、強固に守られていたこと。また武器として使ったとみられる飛礫が420個以上も見つかったということでした。中世の歴史へのロマンと、ご先祖様たちがどのように生きていたのかという興味を大いに掻き立てられるものでした。これまで、よく分からなかった城の全容が少しずつ明らかになってきて、今後の発掘も楽しみです。
片浜の煙雲館です。震災前は、片浜の御旗場は東光館でしたが、流されてしまいました。煙雲館には、その昔八幡様のお神輿がおかれた神輿台の石が残っています。江戸期、八幡神社が鮎貝家の祈願所であったという関係を物語るもので、この震災を機に鮎貝家に神輿が立ち寄るという伝統が復活したのでした。庭先では片浜(元片浜も)の婦人たちが神輿を迎えるお世話をしてくれています。